"The Big Short"【ネタバレ注意】

観る前に私は不覚にも,これは「周りは誰も自分の言うことを信じないけれども,信念を貫き通して最後に一発逆転」系の話だと思っていた.つまり,大いに間違っていたわけだ.

この話の中心は,「自分の予測が正しいということは,即ち数百万の人が家と職を失うことに他ならない」のであり,自分の行う(クレジット・デフォルト・スワップ=CDSの購入を通じた)住宅ローン債権の空売りは「母国の危機が起こることに賭ける」ことに等しい,ということが分かってしまった(複数の)主人公の苦悩だと言えよう.たとえ自分が正しかったと明らかになった後でも,「それみたことか」などと喜んではいられないのだ.

それは後輩を叱るブラピのセリフに明瞭に示されているし,スティーブ・カレルが土壇場で部下に説得されるまでCDSの売却に踏み切れなかったのもそういうことであるし,クリスチャン・ベイルがこのディールを最後に自分のファンドを解散してしまったのもそういうことである.ライアン・ゴズリングだけが一応そういう苦悩と無縁であるが,彼はそのことに自覚的・自嘲的である,という皮肉屋の役どころである.

事前の立場ならば,市場が「間違えない」ような施策を取るべく意見表明したり運動を起こすこともできたかもしれない(それを人々が聞き入れるかは定かではないが).だが,話は市場が国全体として「もう既に間違っている」ところから始まっており,この間違いは早晩,膨大な富の消滅という形で正されざるを得ない.主人公たちの苦悩は,消えゆく膨大な富を少しでも救い出すには住宅ローン債権を空売りをするしか無いということであり,しかも始末が悪いことに,そうして救うことができるのはたかだか「金持ちの投資家」でしかない,ということなのだ.

飼い犬の名義で住宅ローンを組んでいた一家が家を追われてヴァンで路頭に迷い,乱脈融資を行っていた住宅ローン担当者が職を失いマックジョブを探してジョブフェア会場をうろつく,というのがこの映画のエンディングシーンだ.おそらく彼らは,少なくとも主観的には「普通の暮らし」がしたかっただけで,何かを致命的に間違った,何か大それたことをしたという感覚はなかったろう.だが本作は,「普通の暮らし」を送ること,「正しく夢を見る」ことが,とりわけ拡大した信用機会の下では困難なことを物語っている.

本作では,金融の世界には意外にも金融の「社会的使命」を素朴に信じている人がいるように描かれているフシがあり,スティーブ・カレルの役どころがそれであるように思える.その「社会的使命」とは,「今手もとにあるもの」が乏しくとも将来性のある人と技術が開花する機会を「正しいプライシング」によって提供することであろう(そしてもちろんそれは,利潤最大化行動であるからこそ可能なことである).確かに金融のおかげで,我々は「今手もとにあるもの」だけでやっていかねばならない制約から相当程度に解放されたのだ.

本作の素晴らしいところは,しばしば「今手もとにあるもの」だけでは不足と感じる人々に過大な夢を見させたうえで奈落に突き落としてしまうような,金融市場の「ままならなさ」を慨嘆しつつも,「だからそんなものやめちまえばいい」というような安易に後退的なスタンスには決して陥っていないところであろう.