技術革新は皆を得させるか?

再び近作
Christopher P. Chambers and Takashi Hayashi, Can everyone benefit from innovation?
の紹介である.pdfはこちら.

貿易自由化や経済統合については,それが何らかの意味で「良い」ものだとしてもその「良さ」は何らかの価値判断に基づくもののはずだ,という了解がまだおぼろげながらに働きそうなものだが,技術革新に関しては,それが「良い」ことは価値中立的な「科学的真理」だとして捉えられがちであり,ラッダイト運動の評価を引き合いにだすまでもなく,これに反対する人はほとんどバカ呼ばわりされていると言ってよい.曰く,ラッダイトの誤謬,労働塊の誤謬,ゼロサムの誤謬:一時的に今の職は失うかもしれないが,長期で見たら他の生産性の高い職に移れるのであり,社会的には生産物がより安価に得られるのだから全員得するはずだ,云々.


だが,生産物が相対的に安価になるメリットを勘定に入れてなお,競争均衡解においては技術革新によって損する人が出てくることを示すのは容易である.

例1:2財の経済を考えよう.AB2人は u(x_{1},x_{2})=x_{1}x_{2}で表現される同一のコブダグラス的選好(である必要はもちろんないが)を持つとしよう.

Aの初期保有は(1,9)で,Bのそれは (9,1)とする.

このとき,生産のない交換経済では競争均衡解は
 p_{1}=1, x_{A}=\left(5,5\right),  x_{B}=\left(5,5\right)
を与える.ただし財2の価格は1に正規化されているものとする.

ここで,財2が財1から生産される技術が生まれたとし,例えばその技術は限界生産性が一定で2としよう.このとき,生産経済における競争均衡解(規模に対して収穫一定なので利潤はどのみち均衡においてゼロであるが,気になるならば例えば企業の所有率を半々と考えるなりすればよい)は
 p_{1}=2,  x_{A}=\left( \frac{11}{4}, \frac{11}{2}\right),  x_{B}=\left( \frac{19}{4}, \frac{19}{2}\right)
を与える.ここでは\frac{5}{2}単位の財1が投入剤として用いられ,5単位の財2が生産されていることが見て取れる.

そして, 5\times 5 =25>\frac{121}{8}=\frac{11}{4}\times \frac{11}{2}であるから,Aは技術革新によって損をしていることが見て取れる.どういうことかというと,Aはむしろ財1を生産に投入するよりも消費することを相対的に好むので,技術革新はこの投入財への要素需要を増大し,その結果財1が相対的に高価になるが故に,財2が相対的に安価になったという正の効果を勘定に入れてなおAは損をするのである.トウモロコシからバイオエタノールを生産することが可能になったおかげで飼料用のそれが高騰した例を考えれば分かるだろう.


もう1つ例を出そう.
例2:3財の経済を考えよう.AB2人は
u(x_{1},x_{2},x_{3})=x_{1}x_{2}x_{3}
で表現される同一のコブダグラス的選好(である必要はもちろんないが)を持つとしよう.

Aの初期保有は (9,1,1)でBの初期保有は (1,9,1)とする(大小関係以外は意味がない).

まず最初に財3が財1と財2から生産される収穫一定技術
 f(z_{1},z_{2})=z_{1}^{\frac{1}{2}}z_{2}^{\frac{1}{2}}
があるとしよう.

このとき,生産経済における競争均衡解(利潤はどのみち均衡においてゼロであるが,気になるならば例えば企業の所有率を半々と考えるなりすればよい)は
 p_{1}=p_{2}=\frac{1}{2},  x_{A}=\left( 4, 4, 2\right),  x_{B}=\left( 4, 4, 2\right)
ただし財3の価格は1に正規化されている.なお,それぞれ2単位の財1と財2が投入され,2単位の財3が生産されている.

ここで,線形の生産関数
 f^{\ast} (z_{1},z_{2})=\frac{\sqrt{2}}{4}z_{1}+\frac{\sqrt{2}}{2} z_{2}
で与えられる新技術が与えられたとしよう.この生産関数が先の生産関数よりも大きい関数であることを確かめるのは容易である.

このとき新技術下での競争均衡解は
 p_{1}=\frac{\sqrt{2}}{4},  p_{2}=\frac{\sqrt{2}}{2}
かつ
 x_{A}=\left( \frac{11+2\sqrt{2}}{3} , \frac{11+2\sqrt{2}}{6} , \frac{11\sqrt{2}+4}{12} \right),  x_{B}=\left( \frac{19+2\sqrt{2}}{3} , \frac{19+2\sqrt{2}}{6} , \frac{19\sqrt{2}+4}{12} \right)
であり, 4\times 4 \times 2=32>17.31 \approx \frac{11+2\sqrt{2}}{3} \times \frac{11+2\sqrt{2}}{6} \times \frac{11\sqrt{2}+4}{12}であるから,Aが技術革新が起こると損をすることが確かめられる.

どういうことかというと,Aは技術革新前は財1を投入財として売ることで収入を得ていたわけだが,技術革新によってもう一方の投入財の財2と比べて相対的に不要になってしまったので,財1が安価になった結果Aは所得を失い,財3が安価になったという正の効果を勘定に入れてなお,Aは損をしているのである.

ここで,Aが技術革新前に享受していた所得は「既得権」にすぎないのだ,と言うことはできるわけだが,とするならやはり先の経済統合の話におけるのと同様に,我々はどの「既得権」が不当でどの「新規権」が正当であるのかについての理論を持たねばならないはずだ.


では,競争均衡解においては必ずしも皆が技術進歩から得をしないことがわかったわけだが,市場解を所与とせずに,なんらかの損失補償策を講ずることで皆が技術進歩から得をできるような資源配分ルールが存在するかを考えよう.

ここでは,規模に対して収穫一定な技術の集合を考える.McKenzie(1959)の議論に従うと,「全ての生産要素」を考慮に入れれば,技術というのは規模に対して収穫一定なものである.「技術」と生産管理に用いられる資源とは区別せねばならない.「技術」それ自体は,いったんそれが生まれたらあとは複製可能なものである.なので,見た目の収穫逓減は生産管理に用いられる資源の希少性として考えられるべきである.

その上で,3つの公理を考えよう.1つは,技術革新によって誰も損をしてはならない,という要請.これを技術単調性と呼ぼう.2つ目はパレート効率性.

技術単調性を満たすがパレート効率的でない解として,「各々がその技術にアクセスして,自分の初期保有を使って自分の作りたいものを作って消費すればよい」というものが考えられる.これを自給自足解と呼ぼう.「技術」自体は複製可能であるという考え方に立てば,これは実行可能な解である.

皆がめいめい同じ技術のもとで最適化しているのだから,自給自足解は明らかに技術単調性を満たす.だが次の2つの理由で効率的ではない.

  1. 交換がない.例えば,実は投入財を生産に使わず消費したい,むしろ手持ちの量よりも消費したい,という人がいる場合,自給自足解だと単にその人は何もせずに手持ちのものを消費すべしとなるが,生産を社会化すれば他の人がいったん過剰生産に従事することを前提にその人は「逆生産」に従事できるので,手持ちよりも多くの投入財を消費できる.だが自給自足解だとそれができない.
  2. 生産要素の組み合わせが社会化できない.例えば,労働と物的投入財とが相補的である限り,労働はあるが物的投入財がない人と,物的投入財はあるが労働がない人が,それぞれ独立して生産活動を行うのが効率的ではないことは容易に見て取れよう.

だが,自給自足解は,おのおのが独立に技術アクセスできる限り得られる最低限の厚生レベルを与えるので,資源配分がある人にとって自給自足解よりも悪い配分を与えたなら,その人は生産の社会化を拒否して一人で活動するだろう.そこで3つ目の公理は,各人は技術に単独でアクセスして得られる配分よりも悪い配分を得てはならない,となる.これを自給自足下限と呼ぼう.

競争均衡解は,パレート効率性と自給自足下限を満たすが,技術単調性を満たさない.自給自足解が技術単調性と自給自足下限を満たすことは自明だが,効率的ではない.また,なんからの方法で「効用」を個人間比較可能な形で計算してその上で厚生の平等を与えるような解は,技術単調性とパレート効率性を満たすが自給自足下限を満たさない.では,3つの公理を全て満たす配分ルールはあるだろうか?


当該論文は,3つの公理を全て満たす配分ルールはあることはあるが,それは2つの望ましくない性質を持たざるをえないことを示した.

  1. ある財を生産への投入でなく消費に用いたい人がいるとき,技術革新がその人を傷つけないためには,技術革新がその人が生産への投入を好むような閾値を超えるまでは,そもそもその人に無生産における自給自足(つまり初期保有)での厚生レベルを上回るものを与えることはできない.
  2. (投入財が2つとして)ある投入財(財1)を他の投入財(財2)よりも他の人と比べて相対的多く有している人が,その財1を相対的に不要とする技術革新によって傷つけられないようにするためには,技術革新が生産の社会化が不要になるような理想的な技術を与えるに至るまで,そもそもその人に自給自足での厚生レベルを上回るものを与えることはできない.

つまり,3つの公理が満たされるためには,ある人々にとっては,技術進歩の利益は進歩が一定基準を越えた後の「おこぼれ」という形でしかありつけないものたらざるを得ない,ということである.

なお,技術革新が潜在的に複数の違ったパターンで起こりうる可能性を考慮できるなら,上の性質を反対の性向を持つ人に適用すれば,技術革新前には複数の人が自給自足での厚生レベルにとどまらざるを得ず,配分の効率性に矛盾する.よって3つの公理を満たす資源配分ルールが存在しないことが示せる.


参考文献
McKenzie, Lionel W. "On the existence of general equilibrium for a competitive market." Econometrica: journal of the Econometric Society (1959): 54-71.