市場は非合理的主体を淘汰するか?

経済学はなぜ合理的な主体を想定するのか?という問いについて、Friedmanによる有名な答えがある。それは、「非合理的な主体は間違った投資選択をするので長期的には損を被り、市場から淘汰される。したがって、非合理的な主体は長期的な経済の挙動に影響を及ぼさないと考えられ、合理的な主体を想定しても分析上失うものはない」というものである。これをFreedman仮説と呼ぶことにしよう。*1


これは決して自明ではないし、なおかつ解釈に注意を要する命題である。というのは、長期的将来において淘汰を勝ち抜き市場をdominateすることと、何がしかの目的に照らして合理的に振舞うこととは全く別物だからである。

例えば、割引効用選好をもつ人々からなる経済では、最も割引率の低い=最もpatientで将来に重きを置く個人以外は、長期的な将来においては所得がゼロに収束することが知られている(Becker (1980))。というのは、最もpatientな個人は最も貯蓄率が高く、そうでない人との富の違いは指数的に開いていくからである。では、less patientなのは非合理的かというと、違う。将来にどれだけ重きを置くかは時間に対する好みの問題であり、合理性の問題ではない。

また例えば、証券市場の理論では、リターンの対数の割引現在価値の期待値を最大化すべく行動すれば、「いつかは」市場にある資金をすべて我が物にできる、ということが数学的結果として知られている(例えばBlume and Easley (1992)参照。ただし前段の結果を踏まえ、貯蓄率は全員同じとしている)。もちろん、「いつかは」というのは極限論法なので、100年先かもしれないし1万年先かもしれない。では、リターンの対数の期待値を取るのが合理的でそうしないのは非合理的かと言うと、違う。対数を取るのかあるいは例えば多項式を取るのかというのはリスクに対する好みの問題であり、合理性の問題ではない。


では、時間選好もリスク選好も同じだとして、確率論的に正しい予想を持つ人とそうでない人とではどうだろうか?Sandroni (2000)は、完備市場=すべての不確実性をヘッジできるように証券が揃った市場においては、正しい予想を持つ人が生き残り、間違った予想を持つ人は淘汰されることを示している。この意味においては、冒頭の言明は正しい。

しかしこれも、不完備市場においては成り立たないことが、他ならぬSandroniの結果を使って示すことができる(Blume and Easley (2006)参照)。例えば、各期において状態がs_{1},s_{2},s_{3}の3つあるとしよう。一方、証券はXYの2種類しかなく、Xのリターンは状態s_{1}において X_{1}, 状態s_{2}, s_{3}において X_{23}, またYのリターンは状態s_{1}において Y_{1}, 状態s_{2}, s_{3}において Y_{23}とする。つまり、この証券構造は状態s_{2}と状態s_{3}とを区別できず、したがってこれらの間で所得を移転することが出来ず、不完備である。

さて、本当の確率が毎期一定であるとし(つまり確率論用語で言えばIID)、これを p_{1},p_{2},p_{3}で表記する。2人の個人ABを考え、簡単のためにABおのおのの予想も毎期一定であるとし、これらを p_{A1},p_{A2},p_{A3}および p_{B1},p_{B2},p_{B3}で表記する。

ここでAについてp_{A1}=p_{1}, p_{A2}+p_{A3}=p_{2}+p_{3}が成り立つが、p_{A2}およびp_{A3}はそれぞれp_{2}およびp_{3}から著しく離れているとしよう。つまり、Aは \{s_{1}\} \{s_{2},s_{3}\}の区別に関しては正しい確率的予想を持っているが、状態s_{2}s_{3}の間での確率的内訳については全く間違っている。一方、Bの予想は本当の確率に極めて近いが、 p_{B1} p_{1}からほんの少しずれている、よって p_{B2}+p_{B3} p_{2}+p_{3}からほんの少しずれている、としよう。

簡単な数値例で言うと、例えば p_{1}=\frac{1}{3},p_{2}=\frac{1}{3},p_{3}=\frac{1}{3}で、 p_{A1}=\frac{1}{3},p_{A2}=\frac{2}{3},p_{A3}=0,  p_{B1}=\frac{1}{3}+0.0001,p_{B2}=\frac{1}{3}-0.00005, p_{B3}=\frac{1}{3}-0.00005である。

このとき、あたかも状態s_{2}s_{3}は同一のものであると考えれば、この市場は完備だとみなせ、この「みなし完備」市場においては、Aは全く正しい予想を持っており、Bの予想は仮に正確に近くてもそれに劣るのである。よってSandroniの結果が応用でき、Aが生き残り、Bの所得はゼロに収束して淘汰される。

つまり、市場はそれにrelevantな範囲の予想の正しさしか問題にしない、ということだ。


これらのことは、市場で生き残りやすい「タイプ」と合理性とは区別すべきであること、何が生き残りやすい「タイプ」かはその市場において何がrelevantでirrelevantであるかに依存することを示唆していると言えよう。



参考文献

  1. Becker, R. (1980) On the Long-Run Steady State in a Simple Dynamic Model of Equilibrium with Heterogeneous Households, Quarterly Journal of Economics, Vol. 95, No. 2, 375-82.
  2. Blume, L. and D. Easley (1992) Evolution and market behavior, Journal of Economic Theory, Vol. 58, No. 1, 9-40.
  3. Blume, L. and D. Easley (2006) If You're so Smart, why Aren't You Rich? Belief Selection in Complete and Incomplete Markets, Econometrica, Vol. 74, No. 4, 929-966.
  4. Sandroni, A. (2000) Do Markets Favor Agents Able to Make Accurate Predicitions?, Econometrica, Vol. 68, No. 6, 1303-1342.

*1:なお、この議論自体はAlchianにさかのぼるので、Alchian-Freedman仮説とも言えそうだが、ざっと検索すると、これはFriedmanによるAlchianの議論の曲解から始まったとする学説史論文もあるようなので(これ)、ここでは単にFriedman仮説とする。