2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧

取引機会の拡大は人々を得させるか?

「得させるに決まってるじゃないか。それが経済学の教えじゃあないのか?」と思われるかもしれない。確かに、市場はそこに参加する人が全員、参加しない場合と比べて得するような配分をなす。そうでなければ、交換で損するような個人は最初から市場に参加し…

市場は非合理的主体を淘汰するか?

経済学はなぜ合理的な主体を想定するのか?という問いについて、Friedmanによる有名な答えがある。それは、「非合理的な主体は間違った投資選択をするので長期的には損を被り、市場から淘汰される。したがって、非合理的な主体は長期的な経済の挙動に影響を…

効率性と厚生比較 (4)

費用便益分析というのがある。これは、ある「決定」の帰結を分析する際に、各人の選好が余剰=「決定からの便益+所得の増減」で表現されると考える。ここで決定をで表記し、主体(ただし)の所得の増減をで表記する。例えばは公共財の量であったり、あるプ…

効率性と厚生比較 (3)

承前 パレート改善というのは、誰をも損させることなく誰かを得させることができることであった。これに基づく社会的選択肢の比較基準をパレート基準という。それは、「YがXをパレート改善するならば、またそのときに限って、社会的にもYがXよりも望ましい」…

効率性と厚生比較 (2)

承前 経済学では効率性を、定式化した人物の名前を取ってパレート効率性と呼ぶ。本によっては「パレート最適性」と呼ぶが、その含意するところは「最適」という言葉の連想させるところから著しく離れていおり、上述の混乱をさらに助長すると思われるので、こ…

効率性と厚生比較 (1)

「効率」という言葉が言論において出てくるのはたいてい、「効率優先」を慨嘆するような文脈においてである。もう一方で、「効率」概念が積極的肯定的に用いられる場面においては、「これに同意できないのはバカだ」と言わんばかりに、あたかもそれが「科学…

はじめに ――― 経済学における術語と日常用語との中途半端な被り方について

今日からブログを始めることにした。経済理論に関する雑文を載せる予定である。 さて、少なくとも日本語の言論においては、論敵を「効率至上主義」者あるいは「競争原理主義」者・「市場原理主義」者呼ばわりすることは、オーディエンスを味方に引き入れるの…