効率性と厚生比較 (2)

承前


経済学では効率性を、定式化した人物の名前を取ってパレート効率性と呼ぶ。本によっては「パレート最適性」と呼ぶが、その含意するところは「最適」という言葉の連想させるところから著しく離れていおり、上述の混乱をさらに助長すると思われるので、ここではパレート効率性で通す。

パレート効率性の定義を与える前に、まずはパレート改善の定義を与える必要がある。パレート改善とは、誰の状態をも改悪することなく誰かの状態を改善できることができることを言う。ちなみに、全員の状態を同時に改善ことができるならばそれもパレート改善である、というのは論理的包含関係から理解できよう。つまりパレート改善は、社会的選択肢に対する各人の好みからすれば誰も反対する理由のない、全会一致の得られる移行である。

そして、ある社会状態がパレート効率的であるとは、実現可能な社会状態のなかでこれをパレート改善するようなものが存在しないこと言う。同値な言い換えをすると、誰かの状態を改善しようとするならば他の誰かの状態を改悪せねばならない社会状態を指す。

説明のために、X,Y,Z,U,V,Wの6つの社会的選択肢と、2人の個人A,Bを考えよう。このときAの好みはZ>V>W>Y>U>X, Bの好みはX>V>U>W>Y>Zだとしよう(X>Yは「XがYよりも好まれる」と読む)。このときAB双方ともにVをUよりも好むから、VはUをパレート改善する。よってUはパレート効率的でない。またAB双方ともにWをYよりも好むから、WはYをパレート改善する。よってYはパレート効率的でない。同様にして、Wがパレート効率的でないことも分かる。

一方、もしVが与えられたとしよう。するとAにとってこれより良い選択肢ZはBにとってより悪い選択肢であり、Bにとってこれより良い選択肢XはAにとってより悪い選択肢である。よって両方を同時に改善する選択肢は存在せず、Vはパレート効率的である。また、Aにとってベストな選択肢Zも、Bにとってベストな選択肢Xもパレート効率的である。というのも、もしZ(X)が与えられたらA(B)をこれより改善することは不可能であり、またB(A)を改善しようとしたらA(B)にとってより悪いものを選ばねばならないからである。

以上より、パレート効率的な社会的選択肢はX,V,Zである。パレート効率的な社会状態は1つとは限らない、ということに注意すべきである。


これでは抽象的に過ぎるので、今度は資源配分を例に取って説明しよう。まずは2種類の財(財1と財2)を考え、それぞれ\omega_{1}単位、\omega_{2}単位存在するものとしよう。また、2人の個人AとBを考え、両者ともそれぞれの財についてより多くの受け取りを望むとしよう。*1

さてこのとき、財を全部分け切らないのは、余ったものを2人で分けることによって双方ともに得することができるから、明らかにパレート効率的でない。したがって、それぞれの財を全部分け切るとして話を進める。ここで、AB両者の受け取りを同時に描くため、下のような図を考える。これは、横の長さが財1の量\omega_{1}にあたり、横の長さが財2の量\omega_{2}にあたる長方形である。すると、 x_{A1}+x_{B1}=\omega_{1}および x_{A2}+x_{B2}=\omega_{2}を満たして財を分け切る配分xは長方形内の1点として与えられ、これは左下のAの原点 O_{A}から見るとAの受け取り x_{A}=(x_{A1}, x_{A2})にあたり、右上のBの原点 O_{B}から見るとBの受け取り x_{B}=(x_{B1}, x_{B2})にあたる。このような図示方法をエッヂワース・ボックス・ダイヤグラムという。

では、与えられた配分がどうなったらパレート効率的なのかを見てみよう。まず、次の図における配分xを見てみよう。

ここで、Aの好みに基づいてxを通る曲線を引き、これを境にボックスをAにとってより良い配分・より悪い配分に分ける。ただし、境界線はAにとってxと同等に好ましい点からなる。この曲線を経済学では無差別曲線という。地図の等高線みたいなものである。なお、より良い方向を示すために矢印を振ってある。Bについても同様にして無差別曲線が引ける。

さてこれを見ると、例えばyという、Aから見たらxよりも好ましく、Bから見てもxよりも好ましい(分からなかったらモニターを逆さにして見るべし)点が存在する。よって双方にとってyxよりも好ましいからパレート改善をなし、xはパレート効率的でない。

今度は点zを見てみよう。これはxを通るBの無差別曲線上にあるから、Bにとってはxでもzでもどちらでもよい。一方これはx通るAの無差別曲線よりも上側にあるから、Aにとってはzxよりも強く好ましい。したがって、xからzに移ればBの状態を改悪することなくAを改善できるので、これもパレート改善である。同様して、xからwに移るのもパレート改善である。いずれにしても、このようなレンズ状の領域がある限りパレート改善が可能なので、このxはパレート効率的ではない。

では次の図における点xはどうだろうか?

今度はxにおいてAの無差別曲線とBの無差別曲線が接しており、先ほどのようなレンズ状の領域がない。よって、両者を同時に得させる点、Bのを改悪することなくAの状態を改善する点、Aの状態を改悪することなくBの状態を改善する点、いずれも存在せず、パレート改善は不可能である。よって、このxはパレート効率的である。

だが早とちりは禁物である。このような点は他にも存在する。例えば下の図のように、点xだけでなく、点yにおいてもAB双方の無差別曲線
が接して効率性は満たされるし、同様に点zにおいても効率性は満たされる。これを繰り返して、効率性を満たす点をつないでいくと、Aの原点 O_{A}もBの原点 O_{B}を結ぶ太線のようになり、この太線上の点はすべてパレート効率的である。

しかも注目すべきは、Aの原点 O_{A}もBの原点 O_{B}も効率的、ということだ。仮にもし O_{A}が与えられたなら、全資源をBに渡していることになるから、Bの状態をもはや改善することはできない。また、Aの状態を改善しようとするならBから財を奪わざるを得ず、Bにとって改悪となる。同様にして、 O_{B}も効率的であることが示せる。

何が公平か、ということについては一致した意見を見出すのは難しいことであるが、全資源を誰かが総取りするというのはいかなる公平の観念に照らしても「公平」でない、ということには同意してもらえるだろう。つまりこれは、効率性は公平性とはまったく別次元な(orthogonalな)概念だということを示している。

このことは、財が1種類しかない場合を考えればもっと明瞭になろう。1種類の財が \omega単位あるとする。再び個人AとBを考える。このとき、財を全部分け切らないのは、余った財を二人で分けることによって双方を得させることができるから、効率的でない。しかし、財が全部分け切られる限りは、x_{A}+x_{B}=\omegaを満たすかぎりどんな配分も効率的である。Aに有利なのかBに有利なのかその中間なのかどのくらい中間なのか、ということについては一切含意を持たない。


まとめると、効率性というのは「お互いに得できる機会があるならばそれを無駄にしない」ということを求めているだけであり、その結果が「誰にとって」有利か不利かという問題には手をつけていない。その意味で「粗い」基準であり、仮に明らかに不公平な選択肢があってもそれを排除できない。私がむしろ弱すぎるくらいだ、と書いたのはそういうことである。もっともそれは、数ある効率的な選択肢の中から我々が何らかの社会的合意に基づいて選び取る余地も残している、ということでもある。

言い換えるなら、パレート改善はどんな選択肢の間にも成り立つ関係ではない。yxのパレート改善たりうるのは全員が改善であると認めたときのみであり、一人でも改悪されるならば成立しないからだ。

もちろん、だから効率性は無意味な概念である、というのは誤りである。人間の歴史は、お互いに得できるにもかかわらずそれを無駄にしてきた歴史であり、効率を「発見」することによってそれを克服してきた歴史でもあるからだ(その克服には経済学も一役買っている、と言ったらひいきが過ぎるだろうか?)


では、このエントリーの(1)において述べた、効率性が一元的な基準として受け取られる錯誤はどこから来るのだろうか?これを明らかにするために、パレート改善以外の「改善」基準について述べよう。

(続く)

*1:もちろん勘違いしてもらっては困るが、2財・2人の設定はあくまでも説明のためで、本当に世の中に2種類の財と2人の人間しかいないと取らないよう。