2010-01-01から1年間の記事一覧

資源配分の公平性(2)

生産経済における資源配分の公平性について述べる。 能力の差異がない場合 人々の間に能力の差異がないならば、交換経済における議論をそのまま容易に拡張できる。選好の対象に「余暇」を含めるだけである。そのうえで「原始状態」においては、交換経済と同…

資源配分の公平性 (1)

資源配分の公平性について、書けるところまで書いてみようと思う。意図的にそれと標榜している人でない限り、一般に経済学者は公平性について議論することがない。それは主観的には、「本分を超えたことは言わない」「特定の倫理的価値判断には関わらない」…

経済学における極限論法 (3)

部分均衡分析の一般均衡理論的基礎 学部の入門講義では、「他を一定」とした上でとある1つの財の市場に話を絞って、その財から生ずる「便益」が金銭単位で測られると考え、各消費者は「余剰=便益+所得の増減」を最大化すると考える。簡単に定式化すると、…

経済学における極限論法 (2)

以前のエントリーより続く効率市場仮説 証券市場においてシステマティックに(つまり、「たまたま」でなく)儲ける方法はあるか?というのは、誰しもが抱く考えであろう。いわゆる効率市場仮説はこれが不可能であることを主張する。というのも、良く整備され…

書評 『学校選択制のデザイン ゲーム理論アプローチ』

学校選択制のデザイン―ゲーム理論アプローチ (叢書 制度を考える)作者: 安田洋祐出版社/メーカー: エヌティティ出版発売日: 2010/03/29メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 45回この商品を含むブログ (8件) を見るNTT出版様より献本。「ゲーム理論アプロ…

経済学における極限論法 (1)

経済学には、その言明だけを見ると珍妙な現実離れとしか思えないような、しかも時には矛盾に見えるような仮定がしばしばある。経済学者の多くはこうした仮定の使用を、いわゆる"as if"論法=「記述的理論の価値はその仮定の現実的妥当性にあるのではなく、そ…

行動厚生経済学とリバータリアン・パターナリズム 2

前回、Thaler-Sunsteinによるリバータリアン・パターナリズムは、彼ら自身が思っているよりもパターナリスティックなものだということを述べたが、こうしたパターナリズムは、個人の厚生基準を完備な順序で与えようとする限り、不可避のものである。*1簡単な…

行動厚生経済学とリバータリアン・パターナリズム

次のような見解は、隣接社会科学においては以前から支持されていたであろうものだが、90年代中盤以降、経済学のメインストリームにおいても一定の支持を集めているものである:(1)人間は必ずしも従来の経済学の想定するような意味では「合理的」ではな…

GDPは厚生指標としては何を測っていることになるのか?

マクロ経済に関わっている人達は、GDP(国内総生産)の上昇(と下降)および上昇率に一喜一憂するわけだが、GDPは記述論的にはともかく規範的には重要な指標なのだろうか? 外部性(=市場でカウントされないサービスや効果。例えば家事労働などのシャ…

取引機会の拡大は人々を得させるか?

「得させるに決まってるじゃないか。それが経済学の教えじゃあないのか?」と思われるかもしれない。確かに、市場はそこに参加する人が全員、参加しない場合と比べて得するような配分をなす。そうでなければ、交換で損するような個人は最初から市場に参加し…

市場は非合理的主体を淘汰するか?

経済学はなぜ合理的な主体を想定するのか?という問いについて、Friedmanによる有名な答えがある。それは、「非合理的な主体は間違った投資選択をするので長期的には損を被り、市場から淘汰される。したがって、非合理的な主体は長期的な経済の挙動に影響を…

効率性と厚生比較 (4)

費用便益分析というのがある。これは、ある「決定」の帰結を分析する際に、各人の選好が余剰=「決定からの便益+所得の増減」で表現されると考える。ここで決定をで表記し、主体(ただし)の所得の増減をで表記する。例えばは公共財の量であったり、あるプ…

効率性と厚生比較 (3)

承前 パレート改善というのは、誰をも損させることなく誰かを得させることができることであった。これに基づく社会的選択肢の比較基準をパレート基準という。それは、「YがXをパレート改善するならば、またそのときに限って、社会的にもYがXよりも望ましい」…

効率性と厚生比較 (2)

承前 経済学では効率性を、定式化した人物の名前を取ってパレート効率性と呼ぶ。本によっては「パレート最適性」と呼ぶが、その含意するところは「最適」という言葉の連想させるところから著しく離れていおり、上述の混乱をさらに助長すると思われるので、こ…

効率性と厚生比較 (1)

「効率」という言葉が言論において出てくるのはたいてい、「効率優先」を慨嘆するような文脈においてである。もう一方で、「効率」概念が積極的肯定的に用いられる場面においては、「これに同意できないのはバカだ」と言わんばかりに、あたかもそれが「科学…

はじめに ――― 経済学における術語と日常用語との中途半端な被り方について

今日からブログを始めることにした。経済理論に関する雑文を載せる予定である。 さて、少なくとも日本語の言論においては、論敵を「効率至上主義」者あるいは「競争原理主義」者・「市場原理主義」者呼ばわりすることは、オーディエンスを味方に引き入れるの…