書評 『学校選択制のデザイン ゲーム理論アプローチ』

学校選択制のデザイン―ゲーム理論アプローチ (叢書 制度を考える)

学校選択制のデザイン―ゲーム理論アプローチ (叢書 制度を考える)

NTT出版様より献本。

「ゲーム理論アプローチ」と銘打ってあるからには、ゲーム理論がrelevantでなければならない。経済学を専門としない読者にとって気になるのはおそらくそこだろう。「要は制度設計の実務に飯のタネを得たいミクロ・ゲーム理論家達が我田引水ででっち上げたプロジェクトではないのか?」と。


しかし本書は、ゲーム理論の取り扱う戦略的行動が制度設計においてまさに中心的な問題であることを示してくれる。そのことは、本書第3章でも紹介されている以下の例で明瞭に語られる。

一郎・二郎・三郎の3人の生徒、1中・2中・3中の3つの中学校があるとする(ただし定員は各校1)。各生徒の学校に対する選好順序は

一郎:2中>1中>3中
二郎:1中>2中>3中
三郎:1中>2中>3中

であり、各中学校の生徒に対する(学区制などに基づく)優先順位は

1中:一郎>三郎>二郎
2中:二郎>一郎>三郎
3中:二郎>一郎>三郎

だとする。


ここで、かつてボストンの学校選択制度において使われていた、通称「ボストン・メカニズム」を考えてみよう。ボストン・メカニズムは、

ステップ1:各生徒は第1志望に応募する。各校はその優先順位に従い、応募者を定員の許す限り受け入れる
ステップ2:ステップ1で受け入れられなかった生徒は、それぞれ第2志望に応募する。ただし、ステップ1で既に定員が埋まっている学校には自動的に拒否される。

以下繰り返し

というものである。

もし各生徒が正直に彼の本当の第1志望・第2志望・・・に従って応募したとしたら、

ステップ1:一郎は2中、二郎・三郎は1中に応募。1中は三郎を受け入れ、2中は一郎を受け入れる。
ステップ2:二郎は第二志望の2中に応募するも、既に定員が埋まっているから拒否される。
ステップ3:二郎はやむなく3中に応募し、受け入れられる。

となる。

このとき、二郎は第二志望の2中ではトップの優先順位を与えられているにも関わらず、第一志望で応募しない限り、一気に第三志望まで回されてしまう。このことは、二郎に2中が第一志望であるフリをする動機を与えてしまう。すると今度は、一郎は第一志望の2中にはねられ、しかも第二志望の1中は既に三郎に取られており、一気に第三志望の3中にまで回されてしまう。よって今度は、一郎に1中が第一志望であるフリをする動機を与えてしまう。

等々していると、例えば一郎が1中を、二郎が2中を、そうなると三郎は(どこを志望しようが結果は同じだが)3中を志望する、というような事態に落ち着く。これを見て「みんな第一志望の中学校に入っている。ボストン・メカニズムはうまく行っている。めでたしめでたし」と喜んでいるとしたら、まさにおめでたいという他はない。


このことは、制度を設計するにあたっては、各経済主体はそのもとで戦略的に振舞うことを考慮に入れねばならないことを如実に物語っている。ゲーム理論の出番はここである。そして、戦略的行動を取り扱うゲーム理論はここでは、「どうしたら生徒達が戦略的相互依存関係にな悩まずに済むか」という方向にいわば逆利用されているのだ。

本書には主に、耐戦略的=「正直な選好を申告することが(他人がどうしようと)常に最適である」なメカニズムの理論的追求とその応用に関する最新の結果が収められている。ありがちな孫引きのサーベイにとどまらず、著者ら自身による理論的貢献や政策提言も与えられている。

学校選択制それ自体に興味がある人はもちろん、そうでなくとも、制度設計において戦略的行動を考慮に入れることの重要性およびゲーム理論のパワフルさをこれほどクリアーに理解させてくれる話もないので、制度設計一般に興味がある人にもお薦めであると言える。


実務にタッチしていない理論家として(苦笑)一つ懸念を挙げるとするならば、やはり既に指摘されている通り、ある問題を、その「他」を所与として固定し、そこから切り離した上で改善しよう、という部分均衡論的アプローチにあろうか。ある問題(学校選択問題)を解決するために政策を変えた場合、各経済主体がその「他」のところで行動を変えるがゆえに(例えば居住地それ自体の変更や教育投資の変更、友達付き合いの変更)、それが今度は当該問題における彼らの価値基準それ自体を変えてしまい、政策が所期の目的を果たしえなくなる、という可能性がある。この懸念は本書でも常に念頭に置かれているし、わざわざコメントするのはフェアではないかもしれないが、読み進める上ではやはり常に念頭においておくべき事だと思われる。