行動厚生経済学とリバータリアン・パターナリズム 2

前回、Thaler-Sunsteinによるリバータリアン・パターナリズムは、彼ら自身が思っているよりもパターナリスティックなものだということを述べたが、こうしたパターナリズムは、個人の厚生基準を完備な順序で与えようとする限り、不可避のものである。*1

簡単な例で話を進めよう。X,Y,Zの3択ではXを選んでいるが、X,Yの2択ではYを選んでいるような個人を考えよう。この人にとって、XとYではどちらが良いのだろうか?「より大きな選択機会から選ばれたことの方が重要だ」という立場に立つならば、Xが良い、ということになるし、「直接比較で選ばれたことの方が重要だ」という立場に立つならば、Yが良い、ということになる。どちらを取るしてもこれは、どちらの問題に接した「自分」がより重要なのかについてのパターナリスティックな判断たらざるを得ない(「同等に」好ましいと結論付けるのも、やはりパターナリスティックな判断である)。


では、こうした判断がシステマティックになされるとしたら、それはどういう形式をしているだろうか?また、それはどこまで・どのような意味で当人の意思を尊重しうるだろうか?ということをここでは考えてみたい。

ここからは我田引水になるが、Chambers and Hayashi (2008,以下CH)による。同じ題材についての別のアプローチには、Rubinstein and Salant (2009)などがある。

CHは、選択データをインプットとし、選択肢上への順序をアウトプットとする関数を考えた。これを個人厚生関数と呼ぼう。インプットたる選択データは、合理的整合的な選択によるとも限らない、全く任意のものである。この関数は、与えられたデータについて厚生判断を与える「エコノミスト」をモデル化したものである。アウトプットたる順序は、prescriptiveなものである。つまり、「あなたの選択データを見る限り、背後に整合的な価値基準が必ずしも見出せないんだけれども、厚生判断のために敢えてそれを考えるならば、こういうものになりますよ」というエコノミストの判断である。もちろん、実際に選択データが整合的な選好順序に基づいているならば、エコノミストの与える順序がそれに一致していてしかるべきだ、というのは理解できるだろう。

CHは「システマティック」な判断の条件として、データの取り扱いの整合性を次のような公理=「我々のエコノミストが、仮にデータAが与えられた上でXがYより良いと判断し、また別のデータBが与えられた上でXがYより良いと判断したとする。このとき我々のエコノミストは、両データをあわせたA+Bの下でもやはりXがYが良いと判断する」として考えた。

そしてCHは、このデータ取り扱いの整合性を満たすエコノミストの判断はスコアリングルールに従うことを示した。つまり、この状況でXが選ばれたらXに何点与え、あの状況でYが選ばれたら何点与え、・・・・・という形のルールである。スコアリングルールは、事前にこうした「点」=ウェイトを決めておかねばならない。その意味において、エコノミストの判断は事前ウェイト付けを行うパターナリスティックなものたらざるをえない。先ほどの例に戻ると、3択から選ばれたら何点、2択から選ばれたら何点、という具合である。「より大きな選択機会から選ばれたことの方が重要だ」という立場に立つならば、3択で選ばれたときに与えられる点を高く設定するし、「直接比較で選ばれたことの方が重要だ」という立場に立つならば、2択で選ばれたときに与えられる点を高く設定することになる。

そのうえでCHは、「各選択肢は同等に扱われる」=「エコノミストの判断は特定の選択肢に肩入れしない」という中立性の公理を考えた。この追加的公理の下では、上記のようなウェイトは、個人の選択が非整合的なとき、つまり複数の対立する自己が存在するときに、それらの間のバランスをとることにおいてのみ意味を持つことが示される。つまり、個人が単一で整合的な選好を持つ場合には、ウェイトがどんなものであろうと、当人の選好がそのままエコノミストの判断に反映される。したがって、ここでのパターナリズムは、個人が複数の対立した自己を持つ場合にのみ意味を持ち、個人が一つの整合的な自己を持つ場合には、なんら為すところがない。その意味で、リバータリアニズムとパターナリズムのintersectionは非空ではあるが限定的に解されるべきだ、というのがCHの結論である。


参考文献
Chambers, C.P. and T. Hayashi (2008), Choice and Individual Welfare, working paper, http://ssrn.com/abstract=1494196
Rubinstein, A. and Y. Salant (2009) Eliciting Welfare Preferences from Behavioral Datasets, working paper, http://arielrubinstein.tau.ac.il/papers/Rubinstein_Salant_welfare.pdf

*1:前回も述べたように、自由の価値は手続き的合理性にある、あるいは自由の価値は帰結の良し悪しによらないものである、という考え方もあるが、ここではあくまでも帰結の「良し悪し」を考えようとしている。