経済学における極限論法 (3)

部分均衡分析の一般均衡理論的基礎
学部の入門講義では、「他を一定」とした上でとある1つの財の市場に話を絞って、その財から生ずる「便益」が金銭単位で測られると考え、各消費者は「余剰=便益+所得の増減」を最大化すると考える。簡単に定式化すると、当該財のx単位からの消費からの便益v(x)で表記し、所得の増減をtで表記すると、余剰はv(x)+tで与えられる。特に、この財の競争的市場での購入を見るにあたっては、1単位の価格をpと表記すると、余剰はv(x)-pxとなり、最適な消費ではv^{\prime}(x)=pが成り立つ。この条件、限界便益=価格、をプロットしたものが(逆)需要曲線である。これらを用いた分析手法を、部分均衡分析という。

一方、そういう単純化を行わず、「全てが全てと相互連関している」ことを認めた分析を一般均衡分析という。もちろん、「一般」の度合いにも濃淡があるが、要素間の相互連関が大きいほどモデル分析は困難になる。計算技術の進歩により、一般均衡モデルをじかに数値的に解くことも珍しくなくなったが(特にマクロ)、特定の財の市場を分析するにあたっては上記の単純化を介して部分均衡分析を行うのが通例である。

この部分均衡理論に基づく政策分析=費用便益分析が「言説」としてどう社会的に流通しているかについては、また稿を改めて議論するつもりだし、以前のエントリーでも一部述べたが、ここではこの部分均衡分析の背後にある仮定について議論する。


冒頭の説明には(互いに関連する)2つの問題がある。それは、

  1. 便益はどうして金銭単位で測られるのか?
  2. 最適消費の条件は「限界便益=価格」で定まるとあるが、所得の絶対量はどこへ行ったのか?消費量が所得に依存していないはずはないではないか?

である。

まず1だが、部分均衡分析では当該財以外の全ての財を「それらに振り向けられる所得」として一本化した上で、「当該財をx単位消費するために、それ以外に振り向けられる所得をどれだけ犠牲にできるか?」という問に対する答えとして支払用意=便益v(x)を与える。

しかしこれはおかしい。というのも一般均衡理論的には、「所得をどれだけ犠牲にできるか?」に対する答えは「もともと所得をどれだけ持っているか」に依存していないわけがなく、ここではそれがすっぽり抜け落ちているからである。例えば、ある財に対する(見かけの)支払用意がより低いとき、一般均衡分析の枠組みでは、「そもそもその財が大して好きでないからなのか」それとも「所得それ自体が希少であるからなのか」を同定する必要があるが、部分均衡分析では後者は無視されて、自動的に前者に帰せられている。

そこで2だ。中級ミクロ以上になると、予算制約を明示的に扱って消費者行動を分析する。そこでは所得の変化が消費に与える効果を所得効果という。ということは、部分均衡分析においては消費が所得に依存しないとされているので、所得効果がゼロと仮定されていることになる。一般的に言えば、消費が所得に影響されないはずはないのだから、これを文字通り取るならば相当に強い仮定である。しかもなにより、これは「そのまんま」の仮定で、どういう状況においてそうなるのかについて説明を与えてくれるものでない。

というわけで、部分均衡理論は部分均衡理論、一般均衡理論は一般均衡理論、という具合で、両者の間には断絶がある。だから教育現場では、入門講義は部分均衡分析で行い、中級に入るとまるでそれまで教えたことなどなかったかのように一般均衡理論を教える、という状況になっている。


では、どうやったら一般均衡分析と部分均衡分析を飛躍なく接続できるだろうか?

Vives (1987)は、財の数が無数に多く、なおかつ所得が財の数と同じオーダーで大きくなるときには、各財にかかる所得効果は限りなくゼロに近くなることを示した。というのも、財の集合が膨大で1つ1つの財が全体に比べて十分小さく、なおかつ所得のプールが十分に大きいならば、1つの財の購買について我々はそれが「値段に比して」割高か割安かは考えたりするが、その出費が他の消費に費やされる所得に与える影響はほぼゼロだと考えることができるからだ。

また、我田引水になるがHayashi(2008)は、同じく財の数が無数に多く、なおかつ所得が財の数と同じオーダーで大きくなるときには、当該財の量xとそれ以外の財に振り向けられる所得の増減tに対する選好が冒頭のv(x)+tの形式へと収束することを示した。ここで、「所得」と「所得の増減」の違いに注意すべきである。というのも、極限において所得の絶対量はもはや希少ではないが、所得の相対的増減はなお希少物としての扱いを受けるからである。*1

もちろんこれは十分条件で必要条件ではないから、上のような状況でなくても所得効果が無視できる場合が可能性としてはあるわけだが、一般的に所得効果をゼロと仮定することによるエラーは、所得の絶対量が希少であるときには大きくなると言える。

ここまで読めば、部分均衡分析の適用範囲はおのずと限定されることが理解できよう。特に、まさに所得の希少性が問題である場合には、便益概念の使用には注意すべきである。


参考文献
X. Vives, Small income effects: A Marshallian theory of consumer surplus and downward sloping demand, Rev. Econ. Stud. 54 (1) (1987) 87-103.
T. Hayashi, A note on small income effects, J. Econ. Theory 139 (2008) 360-379.
T. Hayashi, Smallness of a Commodity and Partial Equilibrium Analysis, working paper. Link

*1:一方、再び我田引水だが、Hayashi (2009)は、財の特質の連続体からスタートしてそれを細分化してゆき、分割が無限小にまで小さくなるにつれ、各財(=財の特質の小集合)にかかる所得効果がゼロに収束し、なおかつそれへの支払用意が正値の関数に収束することを示した。そこでは、支払用意は言わば「密度」として与えられる。